千羽鶴
平和のシンボルの贈物 -千羽鶴
カーネギーホールで開催された平和コンサートのフィナーレで、日本の6校の生徒により作られた平和のシンボル千羽鶴が、5カ国を代表するアーティストそれぞれに手渡されました。この贈物をとおしてそれぞれの国へ向け平和の輪が広がることを願いアーティストに託されました。
Photo Credit: Sarah Stacke
HFP財団創立者でありハプシコード奏者である光井安子氏が5カ国を代表するゲストアーティスト達へ千羽鶴を手渡しました。その一人であるソプラノ歌手ザ オ・ユンホンさん。(左は財団代表・理事長鳥居具子)
平和コンサートを記念して、同プロジェクトが開始されました。
日本の作者であり、贈り手の学校は下記の生徒の皆さんです。「有り難うございました。」
東京都、杉並区 -和田小学校
広島県、廿日市市 -平良小学校
広島県、広島市 -安佐北中学校
岡山県、和気郡 -和気中学校
広島県、広島市 -修道高校
このすばらしい贈り物の千羽鶴を受ける世界の6各国は下記の皆さんです。
アメリカ、フィラデルフィア市
アメリカ、ロングアイランド
アメリカ、ミネアポリス
イギリス、ロンドン
フランス、サンモリツ
中国、北京市
ロシア、モスクワ市
このプロジェクトはこれからも続けられ、世界各国の地域に広がります。ご期待下さい。
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佐々木禎子さんと千羽鶴
千羽鶴が平和のシンボルとなったのは、原爆投下から10年後の1955(昭和30)年10月、爆心地から北方約2キロメートルの広島市内三篠町の自 宅 で2歳のとき被爆した広島の少学6年生の少女佐々木禎子(さだこ)さん(55年2月に急性リンパ腺白血病 と診断されて、広島赤十字病院に入院)が「千羽鶴を折れば、願いが届く」と祈りながら同年5月から薬包紙や見舞い品の包装紙で、 鶴を折り始めたが、願いもむなしく55年10月 25日原爆症で12歳の人 生を閉じたのがその原点です。禎子さんは、644枚を折りあげて亡くなり、残りの356枚は彼女の同級生によって折られ、彼女と一緒に埋葬された。
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